和服は究極のエコロジーアイテム

 

着物(和服)⽤の布は「反物」と呼ばれ、⼀反の⽣地はちょうど⼀着の着物をつくるために必要な⻑さになっています。そこに必要最⼩限のハサミを⼊れて、衿、袖、⾝頃などのパーツに裁ち分け、着物に仕⽴てていきます。
形の違うさまざまなパーツに裁断する洋服の作り⽅に⽐べて、端布がほとんど出ないのが⼤きな特徴です。

仕⽴て上がった着物は、縫い⽷をほどくとまた元の布の状態に戻るため、別のものに仕⽴て直すこともできました。
また和服は、⼩柄な⼈の着物を作るときも⼀反の布を余さず裁断します。余分な布を内側に折り込んで縫うことで、着る⼈の体型に合わせた着物を仕⽴てることができるからです。
これは、端布を出さないための⼯夫でもあり、別の⼈の着物に仕⽴て直すことを考えた知恵でもありました。
何度も仕⽴て直しを繰り返して着られなくなった着物も、ほどいて袋物(バッグ)や⾚ちゃんのオムツなど着物以外の⽤途に利⽤されました。ほんの⼩さな布も継ぎ当てなどに使われ、その後雑⼱になり、ボロボロになったものは、肥料として畑にまいて⼟に返しました。
つまり和服は、リユースにもリメイクにもリサイクルにも適した、究極のエコロジーアイテムだったというわけです。
 

古着のリサイクルショップ現る!

 
電気も⽔道もガスもなく、もちろんコンビニもスーパーもなかった江⼾時代。
庶⺠は、どんな⾐⽣活を送っていたのでしょうか。
⽇本では伝統的に、⿇や絹などで着物が作られていました。
庶⺠の⾐類には、藁や⽊の⽪、草の繊維などが使われることも多かったそうです。
今の私たちにもなじみの深い「コットン=⽊綿」が登場したのが江⼾時代です。
⽊綿は、肌触りがよく、丈夫で温かく、吸湿性にすぐれ、扱いやすかったため、たちまち庶⺠の⽇常着の基本的な素材となりました。
また、縞(しま)や絣(かすり)、絞(しぼり)、型染めなど、⾊柄も美しかったので、⽇本中で⽊綿の着物が⼀⼤ブームとなりました。

ところが、綿花は熱帯性の植物だったため、寒い北⽇本では栽培することができませんでした。
そこに⽬をつけたのが「北前船」です。
北海道で⼤量に獲れるニシンを⻄⽇本に運んで、綿花を栽培するための肥料として売り、空になった船に⻄⽇本で買った⽊綿の古着を⼤量に積み込んで、綿花の育たない北⽇本で売りさばいたのでした。着物の形をした古着はもちろん、ほどいた布や⼩さなボロにまで需要があったと⾔います。
そしてやがて、京や⼤坂、江⼾の街に、古着のリサイクルショップとも⾔える店が登場したのでした。
 

参考資料・データ

 
(社)⽇本繊維機械学会 繊維リサイクル技術研究会 回収分別分科会編
「循環型社会と繊維 〜⾐料品リサイクルの現在、過去、未来〜」
https://tmsj.or.jp/labo/recycle/data/01.pdf
⽇本における繊維リサイクル⽂化について
尚絅学院⼤学 ⽟⽥真紀「⽇本における繊維リサイクル⽂化について」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/transjtmsj/61/3/61_189/_article/-char/ja/